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映画「不都合な真実」を観ました。ぜひみなさんにお勧めします。
◎アル・ゴア氏のことは知っていると思いますが、米国上院議員であり元副大統領だった彼が創った映画が ノンフィクション・ドキュメンタリー映画「不都合な真実」。内容は地球温暖化の現状分析とこれからの未来予測(それもそうとう近い将来の)の映画である。内容が米国の国家戦略や政治家の思惑にとって非常に都合の悪い(特に京都議定書に批准していない米国にとって)内容(真実)が延々と続くわけです。 正直将来のこと(子供達のこと)を考えると自分の老後の年金問題も重要ですがこの地球温暖化問題はもっと深刻であるのが伝わってきました。 ぜひ、映画を観て欲しいし、観るる時間がなければ後日レンタルででも観て欲しいですね。 ◎とりあえず僕はできることをこれからしっかりやるつもりです。 1.停車中はエンジンを切る(慣れるまでが大変ですが) 2.タイヤの空気圧のチェック 3.こまめに蛇口をしめる(これがなかなかできない) 4.エアコンの設定温度 5.自転車のさらなる活用 6.分別ゴミの徹底 ◎最後にこの活動を積極的に発信していこうと思います。 PR ◎みなさん、おはようございます
久しぶりのブログでの再会と再スタートです。これからまた当分は継続して書き込みをしていきたいと思います。頑張りますので応援よろしくです!![]() ◎さて、今回再スタートしたきっかけは、今朝の新聞記事に怒りを 覚えたからです。全く納得できない話です。以下記事内容です。「連続放火・暴行に無期」大阪地裁判決「5人死亡責任は重い」 東京や大阪などで放火や女児への乱暴を繰り返したとして尾上力(38歳)の判決公判が19日大阪地裁で行われ、中川裁判長は「稀に見る凶悪重大事件。放火で計5人が死亡するなど刑事責任は非常に重い」などとして求刑通り無期懲役を言い渡した。 ◎尾上は1998年10月から2003年7月にかけ7歳~13歳の女児計15人に乱暴したほか、同時に民家に計13回放火した男ですわ。放火のために5人が死亡したんですよ。それが無期ではちゃんちゃらおかしいわい。さっさと死刑にせんとあかん。 ◎裁判官が言うには「一部の犯行を自首したことから反省しており、更生の可能性がないとはいえない」ということらしいが、こんな人間が更生できたところで遺族や周りの社会にとって何の利益になるんやっちゅうねん。 ◎私は以前、訳あって大阪拘置所の運動会に招待されたことがありますが、犯罪者はみんな元気にやってますよ。(運動会には犯罪が軽い連中しか参加できないとのことでしたが)。要はこの犯罪者(尾上)のために、こいつが死ぬまで(もしかしたら途中で恩赦があるかもしれない)税金が無駄に使われるわけですよ。 考えただけでもむかつきますわ この事件の公判の行方はきっちり追いかけて行きたいと思います。できたら傍聴してみたいともおもいます。![]() 今日は改めていじめ問題について深く考えさせられた一日だった。 NHK・ETVワイドで7時から9時まで「いじめを考えよう」という今、社会的に大きな問題になっている(というよりも以前から根深い問題にたまさか複数の事件が短期間に重なったのが原因?)テーマで実際の子どもたちや先生からの意見やアンケートを元にしながら検証していく番組であったが、テーマが重すぎる分少々中身に物足りなさを感じざるを得なかった。意見交換する、議論しあうというよりアンケートを公開しさまざまな意見・価値観を検証するところで終わったからそう感じたのかもしれない。 「なぜいじめをするのか」「いじめをなくす方法はないのか」確かにこの議論に正解はないのかもしれないがある程度の納得感や共感できる答え(価値観)を探していただけにはぐらかされた感じがしたのは私だけではないだろうと思います。 そんなことを考えながら10時からのETV特集「学校が変わる子どもが変わる」を見たのですが、そこにはリクルート時代に一緒に何度か食事をしたこともある尊敬する藤原先輩(あちらが覚えているかは分かりませんが)が杉並区の和田中学校校長として教育現場を改革している姿を追いかけているドキュメントが放映されていました。 中学校の子どもたちが彼(藤原校長)が創った「よのなか科」という社会とのより実践的な関わりを教育というバーチャルな場で体験していくという過程を実際の生徒や先生たちの生の声を通して検証していく番組でした。以前から藤原先輩は人間には5つの力が人格形成の中で必要といっており、コミュニケーション力・ロジック力・シミュレーション力・ロールプレイング力・プレゼンテーション力と、まさしく彼の持論を教育の現場で見事に開花させている内容であり、さすが藤原先輩、やるなあ・・・っと思わず感嘆と応援する熱い気持ちが湧き上がってきたしだいです。 ところでこの二つの番組は全くテーマは別々でしたが実は根っこは一緒ではないかと感じたんです。いじめが起きるという現象についてどう向き合い対処していくかということを考える前にいじめ自体が発生しにくい環境を授業(よのなか科)という全く違うアプローチで創っていく、解決しいていくという手段があるのではないかということです。 たぶん彼(藤原校長)が勤める和田中学校では現場の教員は彼のスピードやアイデアに振り回され大変なのか知れませんが、改革のもう一つの成果は学びの場という合理性を追求するプロセスで「いじめが極めて発生しにくいシステム」を同時に創り上げたのではないかという気がしました。 なぜなら「学びの合理性の対極にあるのがいじめという行為であるはずだからです」。ぜひとも彼(藤原先輩)が気を吐いて奮闘している姿を(たぶんリクルートに残っていたら次期社長候補とまで言われた人だったので失うものも大きかったはず)見てたくさんの教育界の方々が触発されて自己変革していくことを切に願うのみです。良いものはすぐにでも導入していただきたい、そう思うのは私だけではないはず。 最近、いじめ問題で教育委員会をはじめ小中学校の現場が大きく揺らいでいる感じがします。マスコミで大きく報道されているのが福岡中2の男子生徒の自殺の件ですがこれはまさしくいじめという大きな氷山の水面上に現れた一部に過ぎないでしょう。しかもこのことは被害者の当人が亡くなって初めて表面化したというおそまつな最悪のパターンでした。いじめというのは本来陰湿な行為ですから決して簡単には表には出てこないと思います。 私も小学校の1年生と5年生の時にいじめにあったのでその時のつらさは十分共感できます。1年生のときはクラスのガキ大将のようなワル(とにかく性格が悪かった。たぶん幼少のときに兄弟げんかで片目をつぶされてしまい、そのことがいじめという行動に向かって行ったのではないかと思う)にいじめられました。ランドセルを雨に日に水溜りに放り込まれたことは今でも鮮明に覚えています。早生まれは結構成長が遅いので4月生まれの性格の悪い連中に餌食にされるんです。 5年生のときはクラスの女性からいじめられました。親父の転勤の関係で九州・佐賀のの田舎から北海道の恵庭に転校ですわ。まさしく青天の霹靂とはこのこと。言葉の壁で毎日いじめられました。特に女の子に私の筆箱や教科書を隠されて苦労しました。だからいじめのつらさは十分認識しているつもりです。 また、これは微妙にいじめとは違うかもしれませんが高校の時にオールバックにもみあげ、銀縁めがねだったので「おっさん」というあだ名をつけられこれはこれで結構つらかったですね。いじめよりつらいかも、ほんまこっちが逆にしばいたろうかと思ったくらいで、しかしこの程度で切れちゃあ・・あかんみたいな。そんなこともありました。 今、安倍政権が教育改革を前面に押し出した政策を打ち出していますが、向こう側の人たち(一部の有識者と政治家や官僚)だけに任せていたらよいというわけではないと思いますね。彼らが議論している内容は決して今回のいじめ問題のようなきわめて現場や人間関係に関わる末端の話ではないのです。しかし問題はいつも末端の現場から発生しているんですよ。 今回の福岡の事件を俯瞰的に見てみると一方的に原因や発端を担任の先生で片付けようとしている感じがします。日本人の悪いところ、予定調和的な結末が最も良くない。もっとつっこんだ情報のあぶり出しが必要だと思います。いじめをする当事者の親はどのように考えているのか?なぜもっと早くにいじめの事実が表に出なかったのか?問題はたくさんあります。 ただひとつはっきり言えるのは「いじめ問題を学校側・先生側だけの対岸の火事のような解決方法は絶対にありえないということ。親がもっと学校教育に絡んでいくというオプションは必要でしょうね。現在PTAという組織運営がありますが、いじめ対策などより現実的な問題に関わる性質も時代の変化に合わせて持つ必要があるでしょう。親がしっかりと自覚を持ち自分の子供を盲目的に信じるのではなく客観的に洞察していく力と導いていく力が今こそ試されているような気がしますね。 今日の朝刊に「9歳娘を虐待、父逮捕」という見出しが出ており、内容を確認すると「言うことを聞かない娘にしつけとして机の上に座らせて頭を手で数回殴り、脳挫傷や鼓膜損傷を負わせたとのこと」でした。 とにかくここ数年こんな事件が本当に多い「親がわが子を虐待する」。青森の事件もそう、例を挙げれば枚挙にいとまがない感じです。しかし一方では子が親に反発して暴力を振るう事件も同時に増加しているのも現実。 「原因はどこにあるのか?」と専門家は小難しく考えてごたくを並べるが、至って簡単、原因は親です。親がしっかりせえへんから、責任もっとらんから、親が愛情を持って子供をきちっと定時、定点観測をしとったら(要はしっかりコミュニケーションをとるちゅうこと)大事には至らんのや!親ですわ、全てその子を産んだ親が原因。 だからこそ「犯した犯罪にはきちっと責任とってもらう、その代償は本人がとる。当たり前ですわ。奈良の小林被告が死刑確定。これも当たり前ですわ」。しかしさらにはきちんと原因を究明するためにも親に登場してもらう必要があると思いますね。どんな子育てをしたらこないなるんやということを国民全員に伝えんとあかん。子の責任は親も連帯責任なんですよ。本人の精神鑑定より親の教育の方が問題なんやからそっちをもっとクリアーにせなあかん。 古い話ですが池田小学校の事件は「親は公衆の面前で切腹して欲しいぐらい」の激しい怒りを感じますね。そのくらいの覚悟をもって育児や子育てをしていかんとあかんのやないかと思っている次第です。 子供も子供の世界の中で意外と苦労して人間関係や勉強をやっとるんですわ。その苦労をちょっとでもわかってあげなあかんなと思います。私もよく頭ごなしに叱ったり、叩くことがありますがもう少し余裕をもちながら接していこうかなと思っているところです。
10月は運動会のシーズンです。新留家でも10月1日は小学校で8日は幼稚園で運動会があり共にわが子の応援に出かけましたが、1日の当日は台風接近で昼前にどしゃ降りになり中止、順延翌々日になってしまいました。残念ながら続きが平日となったためにその日は参加できませんでした。 しかし小学校の運動会で驚いたのは徒競走(かけっこ)で男女が一緒に走ることでした。実は8日に行われた幼稚園では当然男女は別々に組み分けされており、それぞれ1位からビリまで順位がつけられますし、さらには運動会最終種目のお決まりクラス代表リレーもしっかりあり大いに盛り上がりましたが、それに比べ小学校は対照的な運営内容でしたね。 男女が一緒に走るのも驚きですが、順位も1位だけ決め後は一緒、クラス代表リレーもありません。自分が希望すればリレー選手にもなれるということで可能性はたくさんの生徒にありますが、はっきりいって盛り上がり全くなしです。校庭が広いということもあり殺風景で面白みに欠ける運動会でしたね。 「チャンスは平等、公平に」という気持ちは教育側としての気持ちは分かりますが、世の中チャンスは平等には全くありません。逆です。チャンスは不平等なのです。唯一平等なものは時間だけでしょう。24時間の使い方だけは公平ですが、他は常に競争という厳しい現実があることを知っておくべきだとおもいます。それは小学校の時から、というより小学生だからしっかり認識しておいて欲しいと思いますね。競争現実は各家庭と塾で勝手にやってくださいではないとおもいます。 私学の実態がどうかは知りませんが、競争社会をきっちり知る上で早い段階で私学に入れたがる親が多いというのも納得いくようなそんな光景でした。 先日、奈良女児殺害の判決が奈良地裁で開かれ、小林被告に死刑が言い渡されましたが、まさしく当然の判決だと思います。日経新聞の記事で「一人だけの殺害では過去の判例では死刑判決がない」というようなことが書いてありましたが、あほなこと言っちゃああかんで!ということです。一人の命は当然一人の命に相当するのです。もっというなら幼い子たちの命のほうが重たいのですよ。(これは僕の持論)。なぜなら僕は今46歳だけど仮にこれから後30年生きるとしたら命の重さとしては30年分ですわ。でも子どもたちは60年、70年はこれから生きていく。まちがいなく未来・将来の可能性の命は子どもたちのほうが上なのよ。 だから小林は2回くらい死刑になってやっといっしょくらいかなと思います。最近幼い子どもたちを虐待で死なす、殺す親が増えてきて末恐ろしいんですが、もう少し命の重さを考えなあかんで。親であるあんたの命よりも数倍重たい命を輝かす子どもたちをしっかり大事にせなあかん。子どもの命を粗末に考えるやつはこの俺が許さんぞ!!
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覚えたからです。全く納得できない話です。以下記事内容です。